手作り
クラシックギターとの出会い
昭和30年代にNHK人気番組で「わたしは誰でしょう」というのがあった。ある日何の気なしにテレビのスイッチを入れたところ、この番組の、タレントの正体を明かす場面だった。「それは、ギタリストです。」と、スペイン帰りの女流ギタリストが紹介され、一曲演奏された。
その頃、私は音楽と言えばクラシック音楽のこと、ギターなどは歌謡曲の楽器ぐらいにしか思わず、ベートーベンが"小形オーケストラ"と評していたことなど知らなかった。ところが、演奏された曲を聴くうち、その曲の素晴らしさに魅せられてしまった。演奏曲は「アルハンブラの思い出」であったが、この時、クラシックギターという分野のあることを始めて知った。
ギターを手に入れる
それから、自分で弾けたらどんなに良いだろうと思うにつけ、ギターが欲しくなってきた。でも本当に弾けるかどうか判らないし、手始めは安物のギターでやってみようと考えて古道具屋あさりを始めた。浅草のとある店で、高価なギターを陳列している片隅の柱に値札も無く無造作にぶら下げられている1丁の埃だらけのギターに目がとまった。店の主人に「こんなんで良いんですか」とけげんな顔をされたが、格安で手に入れた。
その帰途こんどは古本屋に寄り、「ギターの習い方」という本をみつけ、弦の張り方から勉強を始めたが、この格安ギターはスチール弦が張ってあり、どうやらクラシックギターとしては使われていなかったようで、ネック(棹)に曲りが出ている悪いギターの見本になる代物と判った。しかし、買った以上は仕方がない、と工夫してナイロン弦を張り練習を開始した。
悪戦苦闘の練習
30歳を過ぎて始めたギター練習は知る人ぞ知る、上達を望む方が無理である。時が経つにつれ、目標を「アルハンブラ」から「禁じられた遊び」に落としたが、遅々として進まない。そのうち、NHK教育テレビで「ギター教室」が始まった。番組のある日はテレビの前でギターを抱えて励んでみたが、やはりだめ。これは一人稽古のせいではないか、テレビに出演する生徒になれば、否が応でも上達するだろうと意を決してオーディションを受けてみたが、これも見事に落選。と悪戦苦闘が続いた。
ギター改造への挑戦
一方、ギターに関する本も色々と読みあさっていたが、ある月刊誌に「ギター製作講座」という連載ものがあり、読むうちに、そっくり作るよりも改造の方が簡単だろうと気が付いた。この月刊誌の発行者はギターの工房でもあって、キットや材料の頒布記事も載せていた。上達しないのは曲った棹のせいと決めつけ、棹を取り換えることにした。
ネックはマホガニー、指板は黒檀、駒はローズウッド、フレットは洋白、骨棒は象牙、と高級品素材を購入したら、本体ギターの3倍以上の出費となってしまった。
こうなると、演奏心は何処へやら、曲った棹を胴の付け根から切落し、自分の体格に合わせて棹の長さと幅を決め、フレッチングを計算して、毎夜遅くまで工作に取り組み、数か月掛けてようやく改造し終えた。おそるおそる弦を張り、まず音階を弾いてみる、フレッチングは間違いなかった。弾きやすいように指板と弦の隙間を狭く作ったが、音はビリつかない、と確かめたときの喜びは格別だった。
この喜びはどんな名演奏家にも判らない、製作者だけが味わえるもの、と名工気分に浸り、余勢を駆って、足台兼譜面台兼小物入れという折たたみ式の小箱も工夫して製作した。
名器と迷演奏家のその後
これで名器?と演奏諸道具がそろったことになり、練習にも身が入るはずであったが、ギター演奏の難しさは又格別で、いつしか、名器は壁に掛ったままとなり、埃にまみれて昔の面影に戻っ��しまった。迷演奏家の方はどうかというと、時々カラオケにうつつをぬかす昨今となってしまっている。
編集後記
たっくす第7号をお届けいたします。本号では、新年のご挨拶をはじめ、昭和59年度納税表彰式の報告、恒例の宝石鑑別イベント、秋の研修旅行の楽しいレポートを掲載しました。婦人部コーナーでは「香水の話」を3ページにわたり特集。また、新宿の老舗・小島屋乳業製菓の大竹社長へのインタビュー、そして趣味のコーナーでは小松崎統括官のギター製作記を掲載いたしました。会員の皆様のご愛読に感謝申し上げます。
