趣味のコーナー:私の島めぐり ─ 八丈小島渡島記
私が「島へ行く」と言うと、必ず「釣りですか」ときかれる。釣りもできない絶壁の孤島、御蔵島や青ヶ島に行くと、現地で「仕事ですか、調査ですか」ときかれる。いずれも「ただの旅行です」と答えるとけげんな顔をされる。
つい最近、当社の森会長がずばり良い言葉を教えて下さった。「離島趣味」である。
しかし一般の方にはこれではわからない。そこで私が一人で島へ行って何を楽しんで来るのか、具体的にリポートを書いてみた。題すれば「八丈小島渡島記」である。
八丈小島は、伊豆七島最南端の島八丈島の沖合にある。山頂だけが海面に突き出した古い火山島で、断崖の周囲はわずか9キロ。島民約250人は昭和44年、全員八丈島に引き揚げた。生活苦からと言われているが、実は東京都の離島対策資金にも限界があるので移住を奨励された、と見た方がよい。
無人化した島であるため、渡島には八丈島で漁船をチャーターしなければならない。1日3万円也はいいとして、渡島日前後に1泊ずつ、更に風待ちのための予備としてもう1泊、合計3泊が八丈島で必要となる。
16年の歳月を経た無人の集落
私の第1の関心事は、16年の歳月を経た無人の集落が今どうなっているか、ということであった。うっそうとした茂みの中のゴーストタウンを想像していたのだが……。
先ず、草木が覆い被るどころか、道がきれいに残っているのに驚いた。そして住居は跡形もなく、石垣とコンクリートの貯水槽が残っているだけなのである。正確には、民家1軒と都の教員住宅が1軒、それに小・中学校の校舎だけが形をとどめていた。
憐れをさそったのは校舎であった。黒板の端の方に週間予定の白墨の跡が鮮明に残っており、それが「土曜日卒業式」で終っている。10人とは居なかった生徒の、これが最後の登校日であったのだろう。そして朽ちて抜けはじめた屋根の下で小さな簡易ピアノが1台、今なお音を失わずに主の帰りを待っているようであった。
山羊の島
人間が去ったあと、この島は山羊の島となった。島民が残して行った家畜の山羊が野生化し繁殖して今や2,000頭。集落跡に草木の茂りが無いわけである。山羊が喰んで樹木まで立枯らせて行く。
校舎の床も山羊の糞だらけで、白骨がころがり、死体がうずくまっていた。山羊ファミリーは15匹ぐらいが単位らしい。それが人間を見ると獣道を一目散に逃げて行く。私は自衛のために根棒まで用意したのだが、これはあてはずれ。島出身の船頭さんに笑われた。
さて、わからないのはこの山羊の所有権である。法律に詳しい方にゆっくりお伺いしてみたいものである。
為朝伝説
伊豆諸島は為朝の島渡り伝説の島々である。どの島にも為朝ゆかりの遺跡と祠・社がある。
為朝の最後については「吾妻鏡」などでは大島で自刃、「椿説弓張月」では琉球国に逃れることになっている。しかし八丈島では、八丈小島こそ為朝終焉の地であると言い伝えられてきた。
小さな八丈小島でも集落は二つあり、南部の宇津木村の奥の山腹に為朝神社がある。大人の背丈程の社と、鳥居に相当する二つの岩板だけが残っていた。ご神体と社宝は今八丈島に保管されている。
宇津木村からの海の眺望は素晴らしい。ひょうたん型の八丈島が眼の前に迫って来る。足を踏張れば為朝の気分。感ひとしおであった。
そして私の伊豆諸島めぐりも、元は有人であった10島(伊豆7島+その属島 式根島・青ヶ島・八丈小島)のすべてを見極めて、今ここに完結したのである。
編集後記
新年明けましておめでとうございます。「たっくす」第9号をお届けいたします。本号では、田尾新会長の就任後初めての新年号として、昭和60年度の活動を振り返りつつ、納税表彰式、宝石鑑別会、研修旅行など充実した会活動の様子をお伝えしております。婦人部コーナーでは新企画として「実年・老年を美しく楽しく迎えるすすめ」を開始いたしました。会員の皆様の益々のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。