心の中の"いなか"
私には、"ゐなか"というものがない。東京のはずれ小菅という町に生れ、五十路の年令を意識するこの頃まで、この町を離れて住んだことはなかった。どういう訳か、一人手に入れた家内も東京生れで、現在の在所から遠く隔てた所に住む縁者を全く知らない。
荒川の河口に近い小菅という町には、その荒川に並ぶようにしてもう一本の綾瀬川という小さな川が流れている。今でこそ日本一汚染度の高い河川に落ちぶれ、私の物心つく頃の豊かな水田への水路の源となっていた面影は忍ぶよすがもなくなってしまった。私は、この二つの河口に近いが故のゆるやかな流れのリズムを体内に受けとめながら、今日まで生きてきたように、この頃になってしきりと思う。
幼い頃、この二つの流れの延長線上にある自然の風景の中で、私は良く遊んだ。泳いだり、魚をとったり、蜆や、沢ガニまでがとれ、終日遊ぶ材料には事欠かなかった。しかし、これ等の自然の光景や生きもの達は、何時の間にか身近かな存在から消えていってしまった。
今にして思えば、幼い頃のこれ等の自然の面影が、私にとっての心の"ゐなか"なのかも知れない。20才の前にたまたま独り東北に旅して、私はそこに失ってしまった"心のゐなか"を発見した。以来都会の喧騒に病むと時間の許す限りこの地方へ旅を重ねることが病みつきというか、趣味となってしまった。
この東北への旅の延日数は七十数日になるのではなかろうか。気に入った土地には二度三度、そして夏も秋も冬もと訪れたりした。こんな旅を重ねるにつれて、この頃では都会人の身勝手さをつくづくと感ずる。
3、40年前の小菅の町は、ちょっとした雨でも道がぬかるみ、当時は幼な心にも早く舗装道路にならぬものかと思ったものである。それが現在は狭い路地に至るまで完全舗装され、逆に土の姿を見ることが出来なくなり、雨の日に都会の人はあのゴム長の靴をはくことを忘れてしまった。
このように自分達の住む町が変貌してしまってから、多くの都会の人達は、今更ながら自然をとり戻そう、緑をふやそうと騒ぎ始めている。我が手でそれ等のものを破壊してきていながら......。
そして私自身は、失われた"心のゐなか"を求めて、東北の土地を歩き続けている。心に触れたひなびた土地に逗留を続けているとき、そこに感傷を見出すことは易い。しかしそこに住み続けている人達にとっては、3、40年前私達が道路の舗装を願ったように、生活の向上......自然への違背を念じているのである。人間とはなんと身勝手で先の見えない生きものなのであろう。私は旅の感傷とは別に何かしらやりきれないものをそこに感じずにはいられない。
私の旅は、趣味というものとは少し異るかも知れない。大げさな言い方をすれば、私にとって哲学的な何かを探し求める歩行かも知れない。それ故に旅は独りに限られる。
この一時的な都会からの逃避に似た数日の旅から戻って、私鉄電車が荒川と、綾瀬川の鉄橋にさしかかるとき、車窓からの二つの川の風景が眼に入ってくる。と、何とはなしに自分の"ふる里"に戻ってきたな、という感慨にふけることが多い。そして自分が大切にしなければならなかったものを邪険にしてきた罪の意識を覚えずにはいられない。
最近でこそ川の汚れは少しは以前の姿に戻りつつあるとはいえ、完全な"心のゐなか"はもう二度と戻ってはこない気がする。そして東北の土地からもやがてはその求めるものが消えていくことだろう。私の趣味の旅は、残りの人生の中にあって、急がなければならない作業なのであろうか。
(60.7.9)
編集後記
本号より会名が「淀橋物品税協力会」から「新宿物品税協力会」に変更となりました。新宿の名にふさわしく、会活動の一層の充実を目指してまいります。伊東新署長をお迎えし、新たな体制のもと、会員皆様のご協力をお願い申し上げます。
婦人部コーナーでは、一億総グルメ時代にふさわしく、イタリア料理とワインの組合せを特集いたしました。ホテル・センチュリーハイアットの野田宏子さんにご協力いただき、充実した内容となりました。ご一読いただければ幸いです。