インタビュー『今、一番新しい』熊野屋質店 石神 司郎
仕事の内容や方法は変わらなくても時代に合わせ、 最近では、カタカナ名に変えてしまう職業が多くなりました。
そんな時代の中、昔ながらの“○○質店” と電信柱に書かれた広告の文字を見ると、 明治の文学の上では、いつも貧しい人々が着物なんかを抱えて入るどこか古めかしくもあるイメージが頭に浮かびます。
今回の社長訪問は熊野屋質店の石神司郎氏をお訪ねし、 「質屋さんは、今どんな事をしているのかしら?」 という素朴な質問をしてみようと思いました。
ところが、まず、お店に入ってびっくり!80×120×25cm位ある大きなルイビトンのトランクがぐっと目に入りました。
モダンな店内、シャネルのバッグが沢山、色とりどりのハイヒールetc もう、 私の欲しい品々が店内に!Q. ここが質屋さんなんですか? (ワーォなんで、こんなに新品があるの? と、 ついつい心の中で叫んでしまいました。
)A.いらっしゃいませ。
今の質屋は、こうですよ。
息子が20年程前から、 中心でやってまして、 今でも私は仕事をしているのですが、商品の変化が激し過ぎてわかりにくいので、 現在は手伝う程度です。
コンピュータなどは、型がわからないと金額を出せませんし、御用立てする金額が決まらないと仕事になりませんからね。
質屋は昔から一番時代に敏感に対応せざるを得ないのです。
お客様がお持ちになる品々が変わるのですから。
昭和17年からここで店をやっていますが、 以前は、 着物が中心でした。
時計も以前から多いのですが、今と違って、「うん、これは重いから高い。
」なんて、そんな程度でした。
家電・宝石・毛皮・時計・今はブランド品・コンピュータと、 高くお金をお貸しできる商品も変化しますし、 又、 昨年のように冷夏だと扇風機も2千円位のところが、今年は、暑いので4千円お貸しできるなどその時々で金額が変化したりします。
Q. 私は、今の時代、いらなくなった品物を売りにくる人がいて、それを買って、どうするのだろうと思っていました。
A. たしかに今は、物離れがよくなった時代なので、俗に言う"流す"というお金に代える人が多くなりまして、 質屋に品物が沢山あるようになりました。
新品を売りに来る人もいます。
質屋グループがその沢山ある品物を必要な店に売るために市場を作っています。
昔は"こもがい " という古着を買っていく人がいましたが、 古着自体売れませんので、それも減りました。
今、高くお金をお貸しできますのが、 宝石・時計ななのですが、先日も、 東京質屋協同組合共販部の市では、 何億という商いでした。
Q. それを、お店で売るのですか。
A. ええ、そうです。
Q. そのシステムは、 東京だけですか。
A. 日本中にあるのですが、 東京が一番大きいです。
これが、その時の写真です。
(宝石や時計の高級品が一点一点写真で撮られその横に、金額が載っていました。
)Q.市は、花屋さんとか魚屋さんの河岸の様子をテレビで見たことがありますが、 そんな感じですか。
A.そうですね。
10秒に1点ぐらいの割りで話が決まるのですよ。
Q. 凄い速さですね。
品物が見れないのではありませんか。
A. そのために内覧会があります。
市の雰囲気は、凄いのですが、 若い人も4年ぐらい-場を踏めば、品物に強くなっていきます。
Q. システムとしては、 必ずしも一店が、 流れた品を売られていないことがわかりました。
ちょっとしたディスカウントショップですね。
A. いえいえ、 もっと安いと思いますよ。
Q. でも、 ディスカウントショップやサラリーマン金融とは違う気がしますが。
A. お金をお貸しするのが仕事ですが、 それと同時に、品物をお預かりします。
そのために、いろいろと約束があります。
まず、「蔵」 がなければいけないとかです。
東京は地代が高く、 簡単に開業もできません。
以前は、2千件程質屋もありましたが、 現在8百件程で、減っております。
以前は、その街の人達が利用しましたが、 今では、車でどこでも利用できますから、この位の件数でいいのでしょうね。
古くからある仕事と石神司郎氏自身も150年から続く代々の質屋さん。
話がつきずに、いろいろとお聞かせいただいて、楽しい時間を過ごすことができました。
長い間に、その時々に変化をしながら、番新しい品物の流れを通して、一番新しい日本の品物の嗜好をキャッチしている仕事は、名前は古いですが、どうも 「質屋」さんのようですね。