インタビュー 山中運送株式会社 代表取締役 山中初男

インタビュー 山中運送(株)代表取締役 山中 初男

毎日沢山のトラックが、 多くの品物を運んで来るので、 私たちは、豊かで楽しい生活を都会で送ることができるのです。

そんなこと日本では当たり前です。

(ニュースの中でしか知りませんが、 ロシアやソマリアでは、 運ぶ所に問題があり、日本のようにみんなの手に品物が行き渡りません。

) 今回御入会いただきました山中初男さんは、運送会社を経営なさる2代目社長です。

御人望からか、 会長、副会長職を何と15~16ほどなさり、 新宿には大層お力を注いでいただいているようです。

Q 大変長い間、この地でお仕事をなさっておりますので、きっとおもしろいお話を聞くことができるのではないかと楽しみにしております。

A 私の父は戦前から、運送の仕事をこの地で行っていました。

体が健康で『宵越しの金は持たない』 という人でした。

私は昭和4年1月19日に生まれ、 昭和20年3月に中学を卒業すると、当時は戦争中でしたので中山飛行機に勤め、 終戦後はしばらくぶらぶらとしていました。

『若い者が』 と言われて、10月に今の山口銀行のところにありました長尾さんという方の家財道具を疎開先の軽井沢から持ち帰るのが初仕事でした。

当時は馬を使っており、乗っては行けない事になっていましたので、 馬を引いて行くと、一時間に一里しか進まず、往復で一週間はかかりました。

それを1ヶ月に3往復もしたのですから、今思うと大変な初仕事でした。

Q お読み下さっている皆様の中には『そう、そう』と当時を思い出した方もいらっしゃるでしょうが、私には想像すらつきません。

生きた馬が新宿の街の中を歩いたというのは、いつごろまで続いたのですか。

A 私のところでは、昭和32年ぐらいまでです。

生きているのでかわいいのですが、 大変でして、夜中の12時に飼い葉をあげなくてはなりませんし、汗をかく度にわらでこすってあげないと風邪をひいてしまいます。

それでも、ねいら (馬の風邪のような病気)にかかるとビールを飲ませて1時間ぐらい歩いたり、 重い荷物を運んだ疲れを取るのに熱い湯に足を入れさせたり、必要な時に使える車とは違った大変さがありました。

昭和32年ぐらいからは、 マキや炭で動くトラックの時代に入りました。

仕事は、家庭用の冷蔵庫が普及する昭和35年頃までは氷の運送が中心でした。

その続きで今は、 東食 日冷の冷凍食品の運送をしています。

ジーゼル車を経て、ここ3~4年は公害問題の為にソーラーカーをと言われていますが、全然力がないので、 2トン車が限界だと考えています。

Q ちょっとお話を聞いただけでも大変な変化ですね。

ところで、 ご趣味はカラオケとお聞きしましたが、 この部屋にもマイクがありますが・・A ゴルフと旅行が大好きなので、そちらの方を趣味と言っています。

成子坂、 十二社などの言葉には、 馬が似合いますが、 北新宿という地名には、都庁が似合います。

新宿の変化する姿にちょっぴり淋しくもあり頼もしくもある、そう思えるお話でした。

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