ブックタイトルtax-vol.7-1985-a

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概要

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趣味のコーナー手作り間税1部門統括官小松崎豊昭和30年代にNHK人気番組で「わたしは誰でしょう」というのがあった。ある日何の気なしにテレビのスイッチを入れたところ、この番組の、タレントの正体を明かす場面だー→ヽ)られた避び」に落とtたが、遅々として進まない。そのうち、NHK教育テレビで「ギクー教室」が始まった。番組のある日はテレビの前でギクーを抱えて励んでみたが、やはりだめ。これは一人稽古のせいではないか、テレビに出演する生徒になれば、否が応でも上達するだろうと意を決してオーディシ璽ソを受けてみたが、これも見事に落選。と悪戦った。「それは、ギクリストです。」と、ス苦闘が続いた。ペイソ帰りの女流ギクリストが紹介され、一一方、ギクーに関する本も色々と読みあさ曲演奏された。~~-っていたが、ある月刊誌に「ギクー製作講その頃、私は音楽と言えばクラシック音楽座」という連載ものがあり、読むうちに、そのこと、ギクーなどは歌謡曲の楽器ぐらいにっくり作るよりも改造の方が簡単だろうと気しか思わず、ペートーペソが“小形オーケストラ”と評していたことなど知らなかった。ところが、演奏された曲を聴くうち、その曲の素晴らしさに魅せられてしまった。演奏曲は「アルハンプラの思い出」であったが、この時、クラシックギクーという分野のあることを始めて知った。それから、自分で弾けたらどんなに良いだろうと思うにつけ、ギクーが欲しくなってきた。でも本当に弾けるかどうか判らないし、手始めは安物のギクーでやってみようと考えて古道具屋あさりを始めた。浅草のとある店で、高価なギクーを陳列している片隅の柱に値札も無く無造作にぶら下げられている1丁の埃だらけのギクーに目がとまった。店の主人に「こんなんで良いんですか」とけげんな顔をされたが、格安で手に入れた。その帰途こんどは古本屋に寄り、「ギクーの習い方」という本をみつけ、弦の張り方から勉強を始めたが、この格安ギクーはスチール弦が張ってあり、どうやらクラシックギクーとしては使われていなかったようで、ネック(悼)に曲りが出ている悪いギクーの見本になる代物と判った。しかし、買った以上は仕方がない、と工夫してナイロソ弦を張り練習を開始した。30 歳を過ぎて始めたギクー練習は知る人ぞ知る、上達を望む方が無理である。時が経つにつれ、目標を「アルハソプラ」から「禁じー、→が付いた。この月刊誌の発行者は' ギクーのエ房でもあって、キットや材料の頒布記事も載せていた。上達しないのは曲った悼のせいと決めつけ、悼を取り換えることにした。ネックはマホガニー、指板は黒檀、駒はローズウッド、フレットは洋白、骨棒は象牙、と高級品素材を購入したら、本体ギクーの3倍以上の出費となってしまった。こうなると、演奏心は何処へやら、曲った悼を胴の付け根から切落し、自分の体格に合わせて悼の長さと幅を決め、フレッチ‘ノグを計算して、毎夜遅くまで工作に取り組み、数か月掛けてようやく改造し終えた。おそるおそる弦を張りまず音階を弾いてみる、フレッチ‘ノグは=? 間違いなかった。弾きやすいように指板と弦の隙間を狭く作ったが、音はビリつかない、と確かめたときの喜びは格別だった。この喜びはどんな名演奏家にも判らない、製作者だけが味わえるもの、と名エ気分に浸り、余勢を駆って、足台兼譜面台兼小物入れという折たたみ式の小箱も工夫して製作した。これで名器?と演奏諸道具がそろったことになり、練習にも身が入るはずであったが、ギクー演奏の難しさは叉格別で、いつしか、名器は壁に掛ったままとなり、埃にまみれて昔の面影に戻ってしまった。迷演奏家の方はどうかというと、時々カラオケにうつつをぬかす昨今となってしまっている。- 12- も0 CJ =冷~4f bB ゜ f;、? /、3 bo..