ブックタイトルtax-vol.4-1984-a

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tax-vol.4-1984-a

歴史コーナー..ト、興行業、歓楽街などの進出が多く見られ帝都屈指の盛り場として発展の一途を辿ることとなるわけである。ヽ往時の盛況を計り知るものとして、当時の東京市公報に「不景気の嘆声も此処ばかりは他郷の空にも等しく…云々」と報じられており50年前からの盛況さを窺い知ることが出来る。ただ、その中心は今とは少し異なり2~3丁目辺りが中心だったようである。次にどうしても税金関係に触れないわけには行かないだろう。昭和初期迄は所得税の納税者数も少く、極めて少人数の税務職員で処理されていた様が記録されている。叉当時多額納税者が公表されていたかどうか判らないが、記録では次の二者が残っている。角筈の鈴武蔵野館と同、高野芳之助である。淀橋を話す場合この地域の特殊性として、(新宿駅周辺の商業ビジネス地区)と(落合地区の住宅地)の二面性をもっていることをあげなければならない。新宿駅周辺については既に述べているので、ここでは落合地区について少し述べてみよう。大正末から昭和にかけ当時翠が丘と云われていた丘陵地帯を箱根土地悌が開発し、目白文化村と銘打って分譲したもので当初坪50~70円位であったという。現在もかなりの著名人が住んで居ることは周知のところである。最後に大正から昭和初期にかけどのような著名人が淀橋に住んでいたか記録されている名士録のなかから一部を紹介しよう。(政治家等)西大久保~ ? 阿部信行、平沼麒一郎角筈~岡田啓介下落合~有田八郎(文化人)大久保~島崎藤村、小泉八雲などである。とりとめのない文章に時間を割いて戴ければ幸いです。新宿の史蹟①成子天神の力石(西新宿8-14- 10 )江戸末期から昭和の初めまで各地の祭.、行われた。それに使った大きな石が力石。拝ると漢文で説明している。③水稲荷神社(西早稲田3- 5 )附近の高田馬場跡は江戸時代に旗本が馬術の練習や、走る馬上から的を射る流鏑馬(やぶさめ)た処。また、この辺り一帯は太田道灌の故事にある山吹の里で、面影橋の近くにはその碑が立っている。'Pコ雫.. (上は水稲荷神社中は山吹の里の碑。左は面影橋付近を走る都電)- 11 -