ブックタイトルtax-vol.3-1984-a

ページ
10/12

このページは tax-vol.3-1984-a の電子ブックに掲載されている10ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

tax-vol.3-1984-a

歴史コーナー税務署と古文書間税第1部門統括官高野豊この稿を起すに当ってはまづ「新宿」「淀橋」の由来から進めねばならないだろう、そもそも「新宿」とは「内藤新宿」の略称から大部分の役所、会社が戴いているところであるが、税務署は未だ使っていない。これは住民、納税者の意向の調整がつかぬまま、片やイメージメリットのみでとくに行政的効果等がほとんどないとし、現在迄何回か「新宿税務署」への動きはあったものの立ち消えになっているらしい。このへんで「淀橋税務署」は何時頃誕生し住させた村にかけた橋古文書(大正末期のもの)に掲載された、管在に至っている。をはじめ余戸橋といい内概況書の人口調査欄で今昔の感がかる。明治29年といえばこれを改めたという説。 《和名抄》 日清戦争直後であり今でこそ新都心となってR古い口碑によると、柏木、中野、角筈、本郷、の四村の集まるところにかけられたので四所橋といわれそれが変わったものとずる説。③徳川将軍(家光)が鷹狩りに来て橋のたもとで休息した際山城国の淀に似ているというところから淀橋と命名したという説。④その他に中野長者の伝説もあるが前三者にくらべよりどころが薄いようである。ところで新宿といえば明暗こもごも内外に冠たる地名で国中知らぬ者とてなし、この冠りは今やいるが当時は武蔵野の面影を残す田園情緒豊かなところであったと思われる。ここ数年新宿東口の高野フルーツの前は日本一の路線価が示され林立する超高層ビルには著名企業が目白押しであり又新宿駅周辺の商店街、歓楽街はお上りさんならずとも目を見張るものがある。そこで開設時から大正年代にかけ半世紀前の新宿はどんな状況だったのだろうか非常に興味のあるところである。この附近の旧き時- 10 -..