ブックタイトルtax-vol.15-1989-a

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概要

tax-vol.15-1989-a

インタビュー. .協力会とともに30年鈴エビ‘アン代表取締役小橋一弘社長訪問コーナーでは、今まで、物品税に何がしか関係のある方をお訪ねしておりましたが、今回は、高田馬場アリミノビルF1で、「オーキット」という喫茶店を経営なさっている小橋一弘氏にお会いし、お話をうけたまわりました。おや?とお思いの方も多いことと思います。そうです、長い間、協力会において、お世話くださいました第一人者、小島屋乳業の小橋氏の事です。Q 今、この会が、このように、よい形になったのも、(小橋さんに)ずいぶんとお世話になったからなのだから話を聞いてくるように、編集会の全員に言われやってまいりました。よろしくお願いします。A そんな、たまたま長くなっただけです。昔の話を言われても、あまり覚えていませんよ。小島屋乳業に税理士として入社して以来で、その昭和31年からですか。当時、社長が副会長でしたから、会社の仕事として会の皆様と協力しあうようになったのです。以前は「協力会」と言わず、「促進会」と言っていたんですよ。物品税と言うと、何か、宝石とか酒とか思われがちですが、目的税というのが、当時ありまして、その中で砂糖消費税というのがあったんです。その砂糖が乳製品に含まれると、免税になるのです。その他飲料水などに(税が)掛る掛らないがありまして、小島屋には、沢山の事務仕事があったんです。促進会時代には、宝石屋さん達は入っていなかった。その後、「懇親会」、「懇話会」、「協力会」となるのですが、「協力会」からじゃないかな、デパートや宝石屋さんが入ったのは。Q 最初から「協力会」ではなかったんですネ。では、ずいぶんと変化したんですネ。A そうです。「促進会」時代は、2種のみの集りで、大変小さなものでした。少しずつ大きくなって「協力会」で「ワー」ですね。「懇話会」時代、オリエンクルの中山氏が協力好きで、会長ということもあって、オリエンタルの工場で花見をして騒いだり、この「たっくす」の前身のような印刷物を出したんですよ、工場のガリバン使って1回だけですけど。行事としての集りでなくても、まとまりがよくて、楽しかった。その当時から会では、旅行には行ったんです。今じゃ、東京周辺、行く所が無いでしょ./この会永いから。Q やはり、お噂通り、生き字引きですネ。少し、その小島屋さんに入る以前の小橋さんのことも知りたいですネ。A ハハハー、僕ですか。四国讃岐の香川で生まれました、昭和7年に。高校までは、四国におりまして、当時の新生高校1期生です。東京に夜学に行こうと出てきました。昭和25年頃は、東京では仕事がない時代で、皆大変でした。明治大学の夜学でしたが、大学だけじゃ仕事につけそうもなく、村田簿記に行き、やっとありついて会計事務所の仕事で出向したさきが、小島屋乳業だったんです。それが31年で、それからは、協力会とともに生きてきました(冗談)。Q ワー、本当./協力会人生ですネ。A だから、やめた。今でも心配なんです。青年、婦人部とか、わけても人が集まらなかったりその他いろいろ。そして今度変るでしょ。間税が_。どうなるのかなァー、この会とか。できれば、今の会が中心にカ強い会になってほしいんです。僕のように物品税に関係なくなっても、相談役とか席を作って下さったりしてもらい、すごくうれしいです。今まで、会で沢山の素晴しい事を勉強した僕は、淋しいから、ぜひ、ぜひ、会はなくならないでほしい。協力会の皆様./ホットで、素敵なマスターのいる「オーキット」に行って、おいしいコーヒーを飲みながら、新宿の話を聞いてみませんか。-7-